
ラットの行動から探る、「助けないと!」の思いはどこで生まれるのか
佐藤 暢哉文学部 総合心理科学科 教授
みなさんは、町中で道に迷っていたり、荷物をばらまいてしまったり…と困っている人、そしてそれを「手助けする人」を見かけたことはありませんか? こうした他者に対する援助行動は、人間だけでなく、さまざまな動物にも見ることができます。そんな人や動物の「仲間を助けたい」という思いはどこから生じるのでしょう。心理学・神経科学の視点から、ラットを用いて援助行動の研究をする佐藤暢哉先生に話を伺いました。

Profile
佐藤 暢哉(SATO Nobuya)
関西学院大学文学部総合心理科学科 教授。広島大学大学院生物圏科学研究科博士課程修了。博士(学術)。研究テーマは空間認知、エピソード記憶、共感性(社会的行動)。京都大学霊長類研究所共同利用研究員、日本学術振興会特別研究員(日本大学)、科学技術振興機構CREST研究員(2003年、2007年)、日本学術振興会海外特別研究員(米国ロチェスター大学)、ロチェスター大学ポストドクトラルフェロー、日本大学大学院総合科学研究科研究員を経て、2009年に関西学院大学に着任、2014年より現職。
この記事の要約
- 水に浸かったラットを、隣室にいるラットは助け出そうとする。
- ラットの援助行動の元となっているのは、相手の感情を自分ごとにする情動的共感。
- 異なる系統のラット同士でも、同じ環境で育つと援助行動を行う。
- 他者への共感能力は、社会を維持していくために進化したと考えられる。
ラットが仲間を助けるのはネガティブな感情の共有から
動物世界に見られる「援助行動」は、どのようなときに起こり、どのような行動をとるのか?脳の神経メカニズムの解明に取り組む佐藤先生は、窮地に陥ったラットを、ほかのラットが助けようとするのかという検証実験を行っています。
実験では、ペアで飼育している2匹のラットのうち1匹を水が張られたプールに入れ、もう1匹をプールに隣接する濡れない部屋に入れます。2つの部屋を仕切る壁は透明なため、濡れていないラットはプールの様子を見ることができます。プールは脚が床に届く深さでラットがおぼれる心配はありませんが、ラットは水を嫌がりプールから出ようとします。しかしプールと部屋の間にはドアのついた仕切りがあり、プールのラットが隣の部屋に入るには、部屋側のラットにドアを開けてもらわなければなりません。

実験の結果、濡れていないラットはドアを開け、仲間のラットをプールから助け出す援助行動が見られたといいます。このような動物の行動を見ると、私たちはつい擬人化して「ラットも仲間の困った状況がわかり、助けてあげたくなるのだろう」と思いがちです。しかし実際は、プールにいる困った状況を理解して援助行動をしているのではなく、他者に対する「共感」に基づくものだと佐藤先生は言います。
「学術的に共感は大きく2種類があるといわれています。1つは『情動的共感』と呼ばれるもので、横で泣いている人がいたら自分も悲しくなるといった、他者との感情の共有です。もう1つは『認知的共感』で、こちらは泣いている人は辛いのだろうというように、他者の感情を理解するという意味の共感です。ラットが『認知的共感』によって他者の感情を理解しているとまでは考えにくいので、ラットの援助行動は『情動的共感』によるものだと思われます」
つまり、部屋側の濡れていないラットは、プールの水に浸かって困った状態にあるラットを認識し、情動的共感により自身も嫌な気分になります。その嫌な気分は、ドアを開けて濡れたラットが水から脱すると解消できるので、濡れていないラットはドアを開ける学習が進みます。こうしたプロセスで援助行動が生じていると佐藤先生は考えています。
ではラットは、他のラットの困った状態をどのように認識しているのでしょうか。私たち人間と同じように、窮地に陥っている他者の姿を見たり、助けを求める声を聞いたりして援助行動をとるのでしょうか。
「われわれ霊長類は、外界からの情報の多くを視覚に頼っています。人間の場合は言葉を話すので聴覚からの情報も重要でしょう。これに対しラットは近眼であまり目がよくなく、嗅覚情報の占める割合が大きいといわれています。実際に、仲間に危険を伝える『警告フェロモン』を発することも知られています」
ただ、警告フェロモンは水溶性であるため、今回のプールの実験においては、匂いでの情報伝達は考えにくいと佐藤先生は話を続けます。「情報認識の点に関してはまだ研究の途中ですが、プールと部屋の仕切りに黒いシートを張って、プール側のラットの様子を隣室のラットからは見えないようにすると、ドアを開ける学習が進みにくい傾向があるように感じます。一方で、匂いを感じないようにしたり、音を遮断したりした場合には、学習にあまり変化が見られませんでした。目は良くないラットですが、いまのところ他個体の状況を認識する手段として一番可能性が高いのは視覚情報かもしれません。いずれにしても実験で明らかにする必要があります」
助けてくれたら助けてあげる、ラットに見られる互恵性
さまざまな条件で、援助行動の源泉を探る佐藤先生。プールを用いた実験では、同じケージで飼育したペアのラットを用いましたが、その後の実験で、見知らぬ別のラットに対しても援助行動を取ることがわかりました。これについて、佐藤先生は別の研究グループが発表した実験結果を教えてくれました。
「ラットは系統によって毛が白かったり、ぶちがあったりと、毛の柄が異なります。困っているラットが自分と同じ系統ならば、知らないラットでも助けますが、自分と異なる系統であれば、助けません。では、助ける判断は系統だけなのかというと、そうでもないのです。白いラットを生まれてすぐに親から離して、ぶちのラットの家族と一緒に育てると、このラットはぶちの系統は助けて、白いラットは助けないのです。つまり、どちらを助けるかは遺伝的ではなく、育った環境によって決まるといえます」
また、研究の途中でデータが十分には集まっていないとしたうえで、他者の行為に報いる互恵性がラットの援助行動にあるらしいとも。「別の研究グループの実験ですが、自分にえさをくれたラットには自分からもえさをあげるが、えさをくれなかったラットには自分もあげないという結果が出ています。援助行動も同様の互恵性があるのではないかと考え、実験を行っています」
佐藤先生は援助行動による互恵性について、先ほどの実験で使ったプールと部屋を用いて実験をしました。まず複数のラットをさまざまなペアで援助行動が起こるかを確認し、プールに入った(助けられる側の)1匹のラットに対して、助けたラットと助けなかったラットに分けます。その後、助ける側と助けられる側を交代します。つまり、助ける側だった2匹を順番にプールに、先にプールに入ったラット1匹は隣室に配置するわけです。すると、助ける側のラットは、先の実験で自分を助けてくれたラットも助けてくれなかったラットも同じように助けます。しかし、部屋の両側にプールを設置した実験装置を用意し、もう一度、助けられる側だった2匹を各プールに同時に入れると、助ける側のラットは、自分を助けてくれたラットを先に助ける傾向があるというのです。
なお、ラット固有の習性によって、想定外の結果になることも。たとえば、ペアのラットの片方に電気ショックを与えたところ、助ける側のラットも一緒に恐怖で固まってしまう事態になったのだそう。「ラットを含むネズミは恐怖の感情を抱くと、フリージングといって動きを止めてしまいます。電気ショックを与えられたラットの恐怖が伝わり、助ける側のラットもフリージングしてしまったんです。共感の1つである『情動伝染』が起こっていることはわかりましたが、助けるどころではなくなってしまいました」と佐藤先生は振り返ります。ちなみに、恐怖で動けなくなっては危険から逃げられないように人間としては思ってしまいますが、ネズミの天敵であるヘビは止まっているものがよく見えないため、ラットに起こったこのフリージングという反応は理に適っているそうです。
さらに、神経系のメカニズムを調べる実験でも、意外な結果が出たといいます。「社会性や共感、援助行動に関して重要な働きをしていると考えられている脳の領域を、遺伝子改変技術を使って活性化させてみました。活性化によって学習や援助行動がはかどるのではないかと予想したのですが、結果は正反対、全く援助行動ができなくなってしまいました。おそらく、該当する脳の領域全体を活性化させたために、領域の中の肝心な神経回路の働きを阻害することになったのではないかと考えています」
共感・援助行動を起こす神経メカニズム解明のヒントを
ラットでの実験で試行錯誤が続いていることが示すように、人間を含む共感や援助行動のコアとなる神経メカニズムについては、まだ多くのことがわかっていません。では、ラットの実験結果は、人間の行動とどの程度、関連付けられるのでしょうか。実は人間とラットには似ている部分があると、佐藤先生は言います。その1つが群れでの行動です。
「ラットは群れをつくって生活する社会性のある動物です。ラットに限らず、大型の哺乳類などでも、群れをなす動物には援助行動がみられるのではないかと考えています。というのも、群れを構成して暮らしていくうえで、他個体がどのような状況にあるのかを認識するのは重要だからです。人間も共感性が高い動物ですが、社会を維持していくために他者に共感できる能力が進化してきたとも考えられます」
ところで、実験に用いられるネズミにはラットとマウスがいますが、マウスには群れをなすような社会性はなく、まったく援助行動を取らないのだそうです。また、佐藤先生は、ラットと人間は同じ哺乳類として脳の構造、神経メカニズムが似ていることも指摘。そのため、ラットの実験によって人間が援助行動にいたる神経メカニズムのヒントが得られるのではないかというのです。
「人間社会を形成するうえで、共感や援助行動が重要な役割を担っているといえます。人間とラットの脳や神経メカニズムについては共通点だけでなく、相違点も意識する必要はもちろんありますが、ラットを対象とした実験を通して、人間の社会行動を考える種々の材料が得られるはずです。哲学的にはいろいろな議論があるものの、心を生み出しているのが脳であることはほぼ間違いありません。臓器の1つである脳がどのように働いてわれわれの心が生み出されるのか、ラットの研究からその一端をひも解ければと思います」
取材対象:佐藤 暢哉(関西学院大学文学部総合心理科学科 教授)
ライター:岡田 千夏
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります